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現代風に言うと「自己ちゅうで下半身のモラルが底辺」とこきおろされた祁答院良重。
記述は「本藩人物誌」なのだが、実は「本編」ではなく「国賊伝」の方に祁答院は記載されいます。
偉大な島津氏中興の祖・伊作の日新斎と宗主・貴久親子に初めから最後まで抵抗し続けていたので、
祁答院良重と戦死した嫡男は「カテゴリ・国賊伝」の殿堂入りしちゃってるんです^^;
しかも「島津側の記録」しか残っていないので、祁答院良重の人品・人柄に対する酷評は「脚色」の可能性があることを念頭に入れておく必要があります^^;
では引き続き「本藩人物誌・国賊伝/祁答院良重」より抜粋
永禄九年丙寅 正月十五日良重夫人ノ為ニ殺セラル
永禄9年とは1566年のこと・・・
まだ正月気分も抜けぬ15日に、祁答院良重は正室である虎姫に刺殺されたんです。( ゚д゚)ンマッ!!
虎姫というのが、前回紹介した薩州家・島津実久の次女です。
これには「入来院氏が虎姫を唆した説(サイト武家家伝で紹介してた)」があるらしいんですが、
出典元がハッキリしてないだけでなく、自分は「それ(ヾノ・∀・) ナイナイ」派です。
渋谷ファミリアと薩州家と島津宗家の縁戚関係は入り組んでいるので、接触する親戚・知人ルートはあるでしょう。
が、入り組んでるだけに「計画が漏れるリスク」も高く、「漏れた場合に入来院がヤバい立場になるリスク」も高い。
祁答院町史と入来院町史がWEB非公開なんで「何か他の要因があった」が判らないんで、いまわかる範囲だと可能性は低いとしか言いようがない(´・д・`)
「鹿児島県史」によると「虎姫は嫉妬して亭主をやっちまったんだ~」といった内容の事が書かれています。
嫉妬の動機とは「本藩人物誌」に記載された「良重の荒淫」でしょう。
この刺殺事件の根底には、良重と虎姫の夫婦関係の破綻があると思います。
良重が側室を迎えていたなら、本心はともかく表面上、虎姫は嫉妬する必要はないのです。
他家から政略結婚で迎えた側室ならば別ですが、基本として側室は女奉公人であり正室の宰領下にあるからです。
それが手当たり次第に女たちに手をつけられては、正室としての虎姫の対面もヘッタクレもない状態。
が、ちょっと待て・・・冒頭の脚色の可能性を思い出せ(・∀・)アヒャ
更に更に「夫婦関係の根底にあるのは相続問題だったんじゃないかな~」なんです。
嫡男が戦死したあと良重は次男(養子説アリ)を後継者にするでもなく、『嫡子の椅子』は空席のままだったみたいなんです。
これは良重自身が「子作りハッスル」を諦めてなかったからじゃないでしょうか?
散弾銃のごとくバラまいてHITしたら側室に・・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ
いずれにせよ「分家筆頭で守護代の家柄で薩州守の次女」である虎姫には、蔑ろにされ続けるのは耐え難い屈辱だったはずです。
で、前回挙げた文節が続く。
良重生平放逸荒婬ニシテ畋遊ヲコノム
畋遊---この熟語は「てん_ゆう」と読みます。
畋(てん)とは「狩り」を意味してまして、良重は「狩り遊び」・・・ハンティングぅ~が趣味だったんですね^-^
問題は、この後に続く文節です( ̄ko ̄)
去年ノ冬ヨリ上宮山ニ狩猟シテ是日(1月15日)城ニ帰ル
去年の冬から狩猟し続け?( ゚д゚)ンマッ!!
一族の当主ともあろうものが、大事な年末年始の行事をスッポカシですって?( ゚д゚)ンマッ!!
(※狩場近くの城で年始行事を行ったかもですが、たとえそうであっても先例・慣例・吉例をガン無視になります)
夫人島津実久カ女ナリ 平日其所行ヲ諌レトモ用ヒス
夫人(島津実久が次女なり=虎姫)は、常日頃(夫の)其の所行(しょぎょう=行動)を諌めていたが(夫は)聞いてくれなかった。
正月も戻らず豪傑すぎる夫に、虎姫の我慢がMAX~~
於是此夜酒ヲススメ酔伏タルヲ夫人手自良重ヲ刺殺ス
是(ココ)に於いて、此の(帰城した)夜 酒をすすめ(良重が)酔い伏したるを 夫人自ら良重を刺殺す。
虎姫は、よほど思いつめていたのでしょう。いかに正室とはいえ当主を殺してただすむはずがないからです。
此時良重カ小姓村尾亀三 後に源左衛門重侯トイフ 左右ニ直宿ス
この時、良重が小姓・村尾亀三(後に源左衛門重候と言う) 左右に宿直(とのい)す
小姓といっても時代劇で太刀持ちしてる坊やじゃないです(´・д・`)
宿直(とのい=夜勤)するってことは、ボデーガード兼務っす(´・д・`)
ちなみに当時17歳だった村尾クンは、祁答院を出て島津義弘公に仕え、華麗なる戦歴を残す勇者となりました^^
即屏風ヲ以夫人ヲ押ヘマタ刺殺ス
即 屏風を以て夫人を押さえ 又刺殺す
村尾クン17歳は、咄嗟に屏風を使って虎姫を押さえこみ、そのままズブリと殺ったようです( ̄ω ̄A;アセアセ
犯行の凶器である刀を持ったままの虎姫が尋常な状態でなかったのか、
もしくは村尾クンが主筋の奥方を直接に斬り殺すのを遠慮しての屏風越し・・・と推察してます。
ココニ至テ祁答院氏滅フ 祁答院ノ所領悉ク入来院重嗣ノ有トナル
ここに至って祁答院氏滅ぶ 祁答院の所領 悉(ことごと)く入来院重嗣の有(所有)となる
跡継ぎを指名しないまま祁答院良重が没したために、祁答院氏は没落しました。
次男(養子説あり)の他に三男もいたので兄弟で家督を争ったのかもしれません。
結局、祁答院氏の家長3名の申し出により、祁答院領は同族の入来院重嗣が領有することになったんです。
祁答院は滅び、入来院も後に島津宗家に降伏します。
でもって残るのは東郷なのだが、それは・またの話 by^-^sio
※漢文熟語からの引用である【畋遊】に関しては、ブログ友のエッチ様より御教授頂きました。
この場を借りて改めて御礼申し上げますm(__)m