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原文
読み下し(てるつもり)
超意訳
前回の切れた部分が・・・伯州(伯耆顕孝)存分之儀、
(伯州(伯耆顕孝)存分の儀)
(伯州(伯耆顕孝)の事ですが)
(前闕、第116号文書ヲ受クルモノノ如シ)
直被申入候之間、不及口能候、
直(じか)に申し入れ被(ら)れ候之(の)間、口能(こうのう=斡旋)及ば不(ず)候、
直接に申し入れられている間は、斡旋するのは難しいです。
旁態以一人申展候之条、閣重筆候、恐々謹言
旁(かたわら)で 態(わざと)一人以て申し展(ひら)き候の条、重閣筆候、恐々謹言
こちらで1名を立てて、申し開きします。閣重筆候、恐々謹言
(天正九年カ)三月十七日 越前守 親賢(花押)
龍造寺殿
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閣重筆候
閣筆(かく_ひつ)は筆を終える事を意味するので、「恐々謹言」同様に「書止文言」の定型文節と判断しました。
[態以------恐々謹言]で終わる定型文があったのを見っけ~~
どうやら、この書状は定型文をアレンジしてるみたいです ( ̄ω ̄A;アセアセ
定型文の用例を探すのに一週間以上かかったっす・・・・il||li _| ̄|○ il||l
この書状は城親賢が「龍造寺殿」宛に出した書状です。
「殿」の敬称はついているものの、官位や通称名を記載していないので、龍造寺一門の誰を指しているのか判りません。
ですが、正式な書状である「堅紙」ではなく、儀礼上で略式になる「折紙」を用いてるので、相手は龍造寺隆信本人ではないと推察できます。
※年欠書状ですが、肥後の状況と城親賢の死亡時期を鑑みて、史料集成編集で年度の付記が入ってました。
なにやら緊迫してそうだなぁ |肥後|_ ̄)じぃー
前後の政治状況は、ゆっくり調べよう♪