ベースとして必要に迫られて筑後史にも手を出しました。。。φ(.. )
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年欠文書か~《書状》は文意の読み取りや分析が手ごわいんだよな~ ( ̄ω ̄A;アセアセ
つらつら眺めるに、どうも相続か安堵関連の訴状?に対する返信みたい。
本庄伊賀守繁栄は大友家臣~専門外だから詳しくないが重臣クラスっぽい。
(明応03)1494年01月13日、『大日本古文書 家わけ 相良家文書』でも名前があります。
つーか、こりゃ、土地トラブルや!!Σ(´Д`;)はぅ
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原文
読み下し(てるつもり)
※文節に関しては、読み下しの段階で判断しています。句読点は原文ママ。
(折封上書)
「 本庄伊賀守
田尻中務少輔殿 御返報 繁栄」
御同名左衛門尉方年少給所證跡之事、
御同名左衛門尉年少方 給所(きゅうしょ)證跡(しょうあと)の事、
御尋候之處、被進候、可然候、委細上覧候、諸老披見候、
お尋ね候の処、進ぜ被(ら)れ候、然(しか)る可(べ)く候、委細(いさい)上覧(じょうらん)候、諸老 披見(ひけん)候、
旁為御用、可被差遣検使候、
旁(方々の)為 御用(ごよう)、検使(けんし)差し遣わ被(ら)れ可(べ)く、
委細、其時可被仰出候、先以御使歸申候、
委細(いさい)其(そ)の時 仰せ出(で)被(ら)れ可(べ)く候、先(ま)ず以(もっ)て御使 歸(帰)し申し候、
殊證跡以上五通物、御判之物二、田原方状三通、
殊(こと)に證跡(しょうあと)以上 五通物、御判の物 二(枚or通)、田原方状三通
何正文、此御使渡申候、為御意得申候、恐々謹言
何(いず)れも正(証)文、此の御使いに渡し申し候、御意を得る為 申し候、恐々謹言
八月十一日 繁栄(花押)
田尻中務少輔殿 御返報
(切封)「(墨引)」
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給所(きゅうしょ)---知行のため給付された土地
證跡(しょうあと)---証拠
上覧(じょうらん)---身分の高い人が「何かを」見た事
披見(ひけん)-----手紙や文書を開いてみる事
御判の物(=判物・はんもつ) ----過去記事・古文書学入門「判物とは」 http://blogs.yahoo.co.jp/tokino_siori/10766080.html
恒例の超意訳(赤文字は管理人推測)
田尻中務少輔さんへ
同じ名(通称)で若い方の左衛門尉の、知行地の証拠の話なんだけどさ。
問い合わせの件は、偉い人(お屋形様かな?)に伝えたし、他の家老にも見て貰ったから、
つーことで方々・・・田尻家のために検使を派遣することになりました。
委細いさい・・詳しい話は検使に言って~おたくから来た(と思われる)使いは帰すからね。
殊こと・・ほかの證跡・・・つまり証拠の品・五通ね
御判之物・・判物(はんもつ)が二(枚or通)、田原が出した書状三通(なぜか数が小文字)
何(いず)れの証文も、おたくから来た(←らしい)使いに渡したから。
(偉い人の)御意(OK)を貰う為に言ってます。恐々謹言(`・ω・´)キリッ
考察
中身の流れだと息子が家督継いだ後・・・年度推定は延徳年間~明応年間あたりでしょう。
で、大友重臣(らしい)本庄繁栄が、証拠を携えて使者を送り込んで来た田尻家に対し、返事の書状を出してるようだ。
『同じ通称の若い方』というのは、おそらく返事を貰った『田尻中務少輔の嫡男』の事と思われます。
息子に与えられるはずだった土地は、どうなったんでしょう~~てな感じで畏れながらと訴え出たみたい^^;
これはやっぱり筑後方分(郡代)だった田原親宗のリップサービスが原因みたい。
判物(はんもの)・・・親宗の花押(直筆サイン)がある文書は、以前に貰ってた田尻家文書3と異筆の書き込みあった田尻家文書2が絡んでるんでしょう。
(証拠で判物を二通ってあるから)
年欠な上に奉書もないわで、やっぱ事務手続きがないまま宙ぶらりんだったんだ。
ちなみに・・・古文書学入門「奉書とは」http://blogs.yahoo.co.jp/tokino_siori/10529062.html
田原親宗が明応3年(1494年)に戦死したそうで、田原家も息子の代になってるんで、事実関係が曖昧になったんだろうな^^;
守護職である大友家では、土地トラブルで当事者間が揉めた時には検使(けんし)を派遣して調停をするんです。
この書状では「派遣する」って話だけで、その結果は記載してないので判りません。
筑後も色々ありますな ( ゚Д゚)y─┛~~