え~例によって専門外の鎌倉や、関係あるけど調べるのがシンドイ室町期の文書はパスでwww
で、年欠文書のせいか、時系列に関係なく先にこれが出てきました^^;
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原文
読み下し(てるつもり)
※文節に関しては、読み下しの段階で判断しています。句読点は原文ママ。
太刀一腰、并段子拾端到来、悦思食候、
太刀一腰、併せて段子(どんす)拾端(反)到来、悦び思い食(しく)候
其方之儀、諸事肥前侍従次第相談、不可有油断候、
其の方の儀、諸事(しょじ)肥前侍従 次第相談 、油断有る可(べ)から不(ず)候、
猶増田豊田両人可申候、
猶(なお)増田(ました)豊田 両人申し可(べ)く候、
十一月十一日 (豊臣秀吉朱印)
深堀中務少輔とのへ
段子(どんす)---練り絹で織った,厚地でつやのある紋織物
ほら、花嫁の長唄?の中で『金襴どんすの帯』ってあるでしょ^^
歌詞の中にある「どんす」がコレで、献上したのは原反(製品化してない生地)です^^/
肥前侍従---龍造寺政家
増田-------たぶんだけど五奉行の増田長束、豊田は自分レベル(豊臣政権絡みの政治史は専門外)じゃ特定無理^^;
深堀中務少輔---深堀純賢
深堀が献上した品への礼状とプチ連絡も兼ねているようです。
では恒例の超意訳
(頂いた)太刀一腰(刀)と高級絹織物の原反10本、悦んでます ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ
その方(深堀)の事は、諸事・しょじ・・・何事も、肥前侍従(龍造寺政家)に相談次第(しだい)ですので、油断しないように(`・ω・´)キリッ
なお、増田と豊田の両人に言っときます~(^ -)---☆Wink
ウィンクは余計でしたな・・・、そこまで愛想を振りまいてませんぞ!( ゚Д゚)y─┛~~
礼を言いつつ、シメるとこはシメてる印象を受けます。
あと、宛名ですが、日付の次行である名前が日付より下がった位置になってます。
つまり『奥「上書」』ではないんです。
敬称も『殿』ではなく「との」で平仮名で、秀吉が深堀を目下として扱ってるのがハッキリしてます。
深堀純賢は、龍造寺隆信が沖田畷の戦いで討たれた後も、島津に靡くことなく龍造寺サイドでいることに徹しました。
島津の勢力が北上しはじめた中で、ブレずにいるのは中々出来る事ではありません。
で、安閑としてられないはずの深堀が、島津に降伏しないと決断した理由が、自分には判らなかったんです。
この朱印状の内容からだと「深堀のことは龍造寺と相談」ってあるから「秀吉から龍造寺押しプッシュがあった」ってことかな?
年欠なので、断定はできないですけどネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
この短い文章だけでは、当時の複雑な政治情勢の中から年代を特定するのは、ちと無理^^;
とにかくフラフラしなかったのが功を奏し、深堀氏は鍋島藩家老として家を残し本貫地も無事に守ることが出来ました。