さくさく更新してますが、これ実はストックしてた分でして、今はプチスランプで推敲が止まってます(-ω-;)ウーン
凝り性なんで、本業でなくても、考察が煮詰まると文章が浮かばなくなる^^;
まぁ、いつもの事なんで、そのうち言霊リズムが戻るでしょう ( ゚Д゚)y─┛~~
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てことで、龍造寺家文書_130_某(城親賢カ)起請文(断簡)の、真っ二つ残り部分です^^/
原文
読み下し(てるつもり)
○前書ヲ闕クモ、第130号文書ヲ承クルモノ、如シ
梵天帝釈四大天王、賢窂地神、稲荷、祗蘭賀茂、春日大明神、
梵天帝釈四大天王、堅(賢)牢地神(けんろうちしん・大地を司る)、稲荷、祗蘭賀茂(大山祇神社・日本総鎮守)、春日大明神
殊者阿蘇大明神、藤崎八幡大菩薩、松尾大明神、
殊(こと=他)者(は) 阿蘇大明神(肥後国一宮)、藤崎八幡大菩薩(千栗八幡宮=肥前国一宮)、松尾大明神(鎮守)、
天満自在天神、惣而日本国中六十余州大小神祇冥道、神罰冥罰至身上可罷蒙者也、仍起請文如件、
天満自在天神(天神様です)、総而(そうじ)て日本国中六十余州大小の神様、身上(=自分の身)に神罰冥罰至り罷(まか)り蒙(こうむ)る可(べ)く者也、仍(よっ)て起請文 件(くだん)の如(ごと)し
天正九年辛巳三月十七日 越前守親賢(花押)
龍造寺山城守殿←隆信
龍造寺民部大輔殿←政家
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起請文の何がメンドクサイって、この最後の神様パレードです^^;
原文は段落を分けてないで、ダーーーっと書き連ねてますが、こちらのほうで判りやすいように分けました。
一行目・・・日本全国の神様
二行目・・・それぞれの国の一宮で肥後国一宮は阿蘇神社、肥前国一宮は藤崎八幡=神埼郡にある千栗八幡宮。
で、その後に続く松尾大明神が城本人が大事にしてる鎮守(氏神)です。
このように起請文は日本国中の神様、起請する側とされる側の国の一宮(国の総鎮守)、起請する本人が大事にしてる鎮守(氏神)にと誓うわけです。
だから面倒ですが神様パレード(神文部分)を丹念に拾うと、武将が外護してた氏神が判るんです^^/
てことで自分も何処が武将にとっての鎮守(氏神)なのかは、必ず確認してます^-^
実は・・・・肥前国では川上社(現:與土日女神社)と千栗八幡宮が「一宮争い」してまして・・( ̄ko ̄)
で、江戸期に裁判?争論になったらしいんですが、まぁ結論を出さずに「大人の対応」で落ち着いたらしい^^;
どうも武将たちの起請文や関連論文を見ていると、戦国当時の認識では「千栗八幡宮が肥前国一宮」のようなんです。
ただ時の権力者が自己都合で川上社を一宮に格上げすべくプッシュしてたんで、歴史的にややこしいことに^^;
このあたり神社と武将の関係性は、非常に興味深いところです。
(川上文書と実相寺文書は現地閲覧のみコピー不可の為、研究対象からは除外した^^;)
起請の宛名は隆信と息子の政家ですね。
でも条件の中で「隆信に尽くす」とあるので、やはり実権は隆信にあったのでしょう。