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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【大隅_蒲生(かもう)氏(室町な後編)】

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図書館に~~~~~と思ったけど、謎の仕訳で4冊バラバラに収蔵されてる中から、更に専門外の時代の文書を探すのは、どう考えても挫折確定なんで心を折る作業は止めときます(爆

というのも相良家文書の方には、久豊公と直接絡んでるのが無かったから^^;
趣味のライフワークさがらん’Zの方に無いとなると(ほぼ)ゼロからリサーチになるんで、無理するの止めます^^;

あ、毎度のやつ忘れてた。
出典:本藩人物誌
(青文字が意訳・補足・要旨、緑文字は原文ママで( )部分がシオ補足)

同十三日(応永20(1413)年12月の話)御取掛被成候処頼久身命相究リ候ニ付(蒲生)清寛ト吉田若狭守ヨリ御断申上頼久命ヲ御助被成候

|PDF|・ ̄)じぃー・・ん~と、占拠した清水(鹿児島)城から退去(遁走?)した伊集院頼久なんですが、
どうも見つかったか、捕まったか、自首・・もとい降伏したか、したらしいです。
この文章だけだと短すぎるから、詳細は判りません。
久豊公はライバルの伊集院頼久を処断しようとしたらしいんですが、蒲生と吉田が断って逆に伊集院助命の取り成しをしたんですね。

ちなみに伊集院頼久ですがリベンジしようとして再び敗れ、ようやく諦めついたのかキチっと隠居して政界?から去ります^^
久豊公としても、島津氏分家・支流の中で最大の世帯数を誇る伊集院氏を完全に潰すことは出来ず、本貫地の伊集院を安堵するのを和解条件にするしかありませんでした。
一時は島津宗家を凌ぐとさえ言われるほど隆盛を誇った伊集院氏が、島津宗家によって成敗され没落するのは、久豊公の御世から180年以上先のことになります^-^

豊後の某フランシスコ談「宗家より勢力ある分家は裏切るから信じちゃダメ!!」

右両人ノ依忠節被発御運候其子美濃守忠清(欠字=空白スペース)久豊公御家老其子久清其子宣清「刑部少輔」其子充清ナリ代々蒲生ニ居城ナリ

前回の発言撤回。
敬意を払うたんびに欠字(一文字分スペースを空ける)するから、逆に何処で区切るのか判り辛いわ!!!(# ゚Д゚)・;'.
え~っと、簡単意訳で
伊集院助命は蒲生と吉田の忠節からの発言です__φ(.. ) ヨミヨミクダシクダシ
蒲生清寛の子、美濃守忠清は久豊公の家老です__φ(.. ) ヨミヨミクダシクダシ
宣清、充清、と代々蒲生(←本貫地)が居城でした__φ(.. ) ヨミヨミクダシクダシ

従(欠字)立久公長禄三年ニ転蒲生喜入被下候ヘトモ明応四年ニ(欠字)従忠昌公又々蒲生ヲ被下候

時代下って久豊公の孫→立久公に従い長禄三年に蒲生から喜入に入った__φ(.. ) ヨミヨミクダシクダシ
明応四年、忠昌公(立久の子)に従い再び蒲生に戻った__φ(.. ) ヨミヨミクダシクダシ

ふぅん・・・立久公と忠昌公とでは「欠字」の位置に変化をつけて、敬意の払い方に差をつけてるのが面白い。
本藩人物誌著者が「国中騒乱になり自害した忠昌公」に対して含むところがあったのかな。
もしくは書写の段階で意図的に変化をつけたか・・・|PDF|・ ̄)じぃー

本文中にあるカタカタは原文ママです。
本藩人物誌の成立年代は不明なんだけど、こういう変体漢文とカタカナを混ぜる書き方って近代っぽいなぁ
翻刻版編集の時に入れたかな?
ホントにモノホン原文を確認したいとなれば影印本になるけど、そこまでマニアになりたくにゃい^^;

てことでゆるふわ室町編が終わったところで、次は戦国~それは・またの話 by^-^sio

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