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【新納忠元_ニャンコ睡る?_市山の合戦その弐_】

出典~近代デジタルライブラリからコピー「菱刈史:有川国千賀編、大正13」
(以下、緑太文字は原文)

さて、永禄11(1568)年2月28日、市山城にて大口攻略のための打ち合わせがあったそうな。
貴久公の命で新納の元へ来た肝付兼盛、島津忠長、忠元二人を小苗代原迄送りて別れ

この小苗代原という地名表記は現在では残ってないようです。
例によって伊佐市の下水道関係の記録ですと伊佐市菱刈花北・・・の一部でした。
市山城のあった伊佐市菱刈市山からみると西の方角です。
(城跡の正確な位置が判らないので、距離感も不明^^;)
凄いなぁ~御近所は忠元公園に忠元神社で、伊佐市菱刈市山は新納カラーでいっぱい^^;

帰途小苗代薬師堂に詣でて「牡丹花下睡猫心在飛蝶」と壁間に題して居た。

>壁間に題して
まさかの落書き?,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

ゲフゴホ・・・新納さん、二人を送った帰りに薬師堂に参詣したようです。
えっと・・・・牡丹の花の下で・・・・・睡猫・・・気持ち良く寝てそうだwww
これ、もしかしたら『禅林集句 :牡丹花下睡猫児 正宗賛。方語云、心在舞蝶』をアレンジしようとしてたのかも。
(※禅林集句は室町期から編纂が始まった禅に関するアレコレ集めた本・・・らしい^^;ヨクワカラン)
新納忠元は教養人ですからネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

牡丹の花の下で爆睡するニャンコ・・・・
「ごめん寝」してたら萌え撃沈ものだ^^

この小苗代薬師堂は三国名勝図会に載るほど古くからあり、島津氏も初代から大事にしてた由緒ある堂だったようです。
(※伝教大師一国一寺自作像薬師を祀る)
(三国名勝図会:江戸後期に薩摩藩が編纂した地誌)
明和六年(1769)、乙丑、二月廿一日、此堂火に罹て焼く。
同九年、壬辰、四月、邦君命あり、此堂を建つ

ということで江戸期に一度火災にあって、再建されてました。
そのために新納さんが題したという壁間は残っていません^^;
菱刈史には簡単に「其壁間は往年火災に逢て今無」とだけあります。
江戸期の明和年間が「往年」とは、壮大なロングパスですな ( ゚Д゚)y─┛~~
※日本語として間違いじゃないんだけど、現代と使い方のニュアンス違う感じかな?^^

位置は伊佐市菱刈市山2500で、小苗代薬師堂は現在、松原神社(通称:薬師サマ)となってます。
明治の神仏分離で難を逃れる為に松原神社に改称したんです( ̄ω ̄A;アセアセ
はぁ、神仏分離のせいで呼称が変わったり廃寺になったりで、現代人・・・まして他県人となると調べるのに難儀します(´・д・`)
薩摩藩に神仏分離については、しばやん様の記事が詳しいです^-^

眠る猫に萌えて調べたら、いろいろ芋づる式に出てしまって、結果、長文になってしまうのは自分的に何時ものパターン,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

新納さんが苦吟?してる間に、戦が始まっていたのだが、それは・またの話 by^-^sio

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