緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
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漢字だらけ~~゜ ゜( ∀ )ぅ!?って方は意訳の赤文字部分のみ読んでくださいませ~
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(折封ウハ(上)書)
「 田北兵庫入道
相良殿
貴報 宗印」
「- ーー」(端裏切封)
當年之御祝儀并御進発之儀、以御使僧被仰遣候、尤珍重候、先々薩州御干戈未明御隙之由、驚存候、弥無御油断御才覚、可目出候、以貴礼承候趣、具令披露候、祝着之段、被用直書候、遠方之条、幾日罷過候共、爰元御取合不可存疎略候、將亦此表之事、豊前肥前其外所々属御案中、諸勢當時吉川小早川対陣候、於于今者、両川落去不可有程候、爰御存知候、旁委細此御僧可有御達候、恐々謹言、
(永禄十二年)
五月十四日 宗印(花押)
相良殿 貴報
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当年の御祝儀併せて御進発の儀、御使僧(しそう)を以って仰せ遣わされ候、尤も珍重候
当年の御祝儀と御進発(宗麟の出陣)に、使僧を派遣したことは尤も大切な事です。( ̄ー ̄(_ _( ̄ー ̄(_ _ うんうん
先々薩州との干戈未明御隙の由、驚き存じ候、
先だって薩摩との戦は未明も閑(ひま)なようで驚きました(@@)
弥(いよいよ)御油断無く御才覚、目出(めで)可(べ)く候、
いよいよ油断なく、工夫されて、褒めてます
貴礼を以って承り候趣、具披露令(せ)しむ候、祝着の段、直書用いられ候、
貴方から承った事について、こちらも披露し祝着として直書(宗麟の書状)を用いました。
遠方の条、幾日罷り過ぎ候共、爰元(ここもと)御取合存じ疎略べからず候、
遠方のため幾日かかっても この所の取り合いを疎かにすることはありません。
將亦(はたまた)此の表の事、豊前肥前其の外(ほか)所々属御案中(あんちゅう)、
さて、こっちの方ですけど、豊前肥前とかとか、こっちの思い通りです(。-_-。)vブイッ♪
諸勢當時(当時)吉川小早川対陣候、于今(いまに)於(お)いて者(は)、両川(りょうせん)落去(らっきょ)程有る可(べ)から不(ず)候、
吉川小早川・両川との対陣は程なく決着がつくでしょう。( *´ー`)ノ
爰(ここ)御存知候、旁(かたがた)委細(いさい)此の御僧へ御達し有る可(べ)く候、恐々謹言、
ここ御存知ですよね(^ -)---☆Wink 詳しい話は使いの僧に伝えます。恐々謹言なぅ
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えっと~まず、田北兵庫入道宗印の人物特定が出来なかった・・・il||li _| ̄|○ il||l
加判衆(かばんしゅう=老臣)か城督(じょうとく=守護代クラス)級の重臣だと思うけど、該当人物の法号までは掴めなくて(トホホ)
違うと後で泣いちゃうから、推定で人物名を書くのは止めといた(´・ω・`)
あと、ちょっと気になったのは、宗麟の事に触れてるのに他の重臣のように闕字(けつじ)をしてないところ
(※闕字=貴人への礼として一文字スペースをあけること)
冒頭の「貴報」は相良へ礼を払う表現
宛名も日付と同じ位置ですから、相良に対し丁重・・・・・・
なんだけど、どうも文章が上から目線な表現をしてるんだよなぁ。
書いた人物の【身分のせい】なのか、【性格】なのか、【そういうパターンの書状】なのか・・・ワカランil||li _| ̄|○ il||
宗麟の意向を書いてるのかも・・・(。-`ω-)ンー
マニア萌えとして『吉川と小早川を【両川】と表現した文書』を、自分が初めて見たってとこです・:*:・(*/////∇/////*)・:*:・きゃ