はじめに・・・この古文書学は理屈・・・もとい学術的な学問としての解説です。
何か(実技編)を期待した方にとっては「知りたいのは、この方向じゃない」かも、しれないことを予め御了承下さい。
参照:佐藤進一著「新版 古文書学入門」
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久しぶり過ぎて自分でも忘れそうです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
宣旨(せんじ)の発布方法で更に別ルートがありました。
帝
↓
内侍(ないじ)---ここで内侍宣(ないじせん)=文書で伝える⇒女房奉書が派生
↓
職事(しきじ=蔵人頭)---ここで口宣(くぜん)=口頭で伝える⇒口宣案(カンペ)が派生
↓
上卿(政務担当公家・大臣)
↓
内容によって外記局or内記局or弁官
↓
ここから弁官の部下・書記に渡さず、弁官が署名して発布する様式がありました。
この様式を官宣旨(かんせんじ)と呼びます。
書き方が「左(または右)弁官下(くだす)」で始まるので
「弁官(べんかんの)下文(くだしふみ)」とも呼ばれていました。
これまでの律令制のもとでは対象によって「符」だの「牒」のと文書をわけたり手続きも煩瑣でしたが、
一律に下文ですませるという簡便さがありました。
そのため次第に官宣旨が広く用いられるようになります。
官宣旨という様式は、「某下す某」と誰が誰に出すか端的に表すという点で、公式令(くしきれい)の規定以外の新様式文書です。
この官宣旨の様式は各所で広く用いられ一般に下文(くだしふみ)と呼ばれました。
例えば
・蔵人所下文
・検非違使下文
・院(上皇)下文
・女院庁下文
などで、さらには公家の家政処理にも用いられました。
摂政・関白はじめ公卿らは、各自家政機関である政所(まんどころ)から下文を出しました。
政所は平安後期になると三位(さんみ)以上の公卿が特権として設けることを許されるようになります。
この公家政所下文の流れを組むのが、鎌倉武士の下文です。
要約すると
宣旨⇒官宣旨(帝の下文)⇒各所(上皇・女院・蔵人所・検非違使庁)下文⇒公家政所下文
という流れで派生し、そこから武家様文書の下文となります^-^