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肥前千葉氏の家督を乗っ取った(実弟を当主にした)少弐政資の勢いは、増々盛んになった。
長享元年(1487)少弐政資は神埼郡・綾部城を攻撃。
渋川刀禰丸は幼少のため筑後へ亡命した。
一方、渋川兄の万寿丸(25歳)は筑前・亀尾城で、己の家臣・足助森戸に殺される。
25歳という年齢で幼名しか伝承されてない理由も不明だし、家臣に殺された理由も不明です。
で、肥前千葉の家督を乗っ取った後、言わば肥前での基盤を弟に任せ少弐政資自身は太宰府に戻ったらしい。
渋川兄が殺されて混乱してた筑前亀尾城を落としてます。
長享2(1488)は記録なし。
長享3(1489)1月23日、少弐政資と渋川刀禰丸勢が肥前養父の城山で激突する。
これには渋川刀禰丸側に、千葉興常が加勢してたんですが、渋川側が敗北し渋川刀禰丸は筑後犬塚城へと亡命しました。
で、この年は8月21日に延徳へと改元してます。
で、延徳になってからの12月30日、龍造寺康家は少弐政資に「右衛門大夫」の推挙をしてもらってます(by龍造寺文書98)
元々鎌倉期から少弐被官の龍造寺ですが、少弐政資の勢いの前に改めて被官となったのです。
翌延徳2(1490)少弐政資は東肥前・西肥前を制圧し筑後へ進軍。
これには大友政親が少弐に合力してました。
渋川刀禰丸クンは筑後犬塚城からも追い出された。o( ̄Д ̄θ★ケリッ!
が、大内が黙って少弐の好き勝手にはさせない。
大内義興の支援で千葉興常が牛頭山城ゲッツ(=^・ω・^=)v ブイ
牛頭山城は小城市にあり肥前千葉氏の居城です。
敗れた千葉胤資(少弐政資実弟)は牛頭山城のご近所、晴気城に入った。
ここに東西千葉氏が誕生します。
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千葉興常のいる牛頭山城が東にあるので東千葉氏。
千葉胤資のいる晴気城が西にあるので西千葉氏。
えっと、嫡流は千葉興常の東千葉氏です。
元々、11代目の養子だった千葉興常が12代目になるところを、少弐政資が自分の弟を捻じ込んで12代目になったんです。
だから自分も初めは西が嫡流だと勘違いしてたil||li _| ̄|○ il||l
ちなみに千葉興常の実父・胤盛は存命しているので、牛頭山城には父子で入ったはず。
というより実権は実父・胤盛が握っていたのでしょう。
牛頭山城では遅れをとった少弐政資だが、肥前での勢いは衰えず。
自分に従わない松浦党攻略に精を出すのだが、それは・またの話 by^-^sio