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剛忠(龍造寺家兼)8【龍造寺分裂?_前編】

西国のドンは忙しい。
大内義興は少弐氏をコテンパンにした次に大友の家督相続にイチャモンつけた。
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そもそも大友16代目(パパ)と大友17代目(息子)との壮絶が親子相克にもチョッカイ出して。
大友16代目は大内義興に殺されています。
(大友17代目は父より先に死亡。父による暗殺説がある)

で、家中の混乱をまとめたのが16代目の実弟にして家督を継いだ18代目大友親治(←宗麟の曽祖父)
その大友親治が息子・義長(←宗麟の祖父)に相続したのに、大内義興が文句つけた。

というのも18代目大友親治は家中の混乱収拾にあたり、室町幕府管領であった細川政元や将軍足利義澄らと通じたから。
伏線張ってたけど覚えてるかな?
西国のドン・大内義興がバックアップしてるのは亡命将軍・足利義材だってこと。

大友が少弐を支援してたこともあり、大友との過去の経緯も重なり、あっという間に関係悪化。
大内が大友の家督相続に難癖つけるまで拗れた。

明応7(1498)1月~2月、大内義興VS大友親治【下毛郡(大分県)の戦い】が起きた。
三行でまとめる(`・ω・´)キリッ
・大内義興が大友親治の従兄弟・大聖院宗心を担ぎ出した
・下毛郡の戦いで大内方を破って大聖院宗心を追放 o( ̄Д ̄θ★大友キーック!
・大友親治が大友家中の実権を完全掌握(=^・ω・^=)v ブイ

大友が戦国大名化への道を歩み始めるのは、この時からになるでしょう。
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家紋・大友
ロン様作成:大友家紋ロゴ

で、豊前(大分県)の戦に出兵するために、大内配下となった元千葉家臣・東尚盛が出兵した。
このドサクサに紛れ、西千葉(少弐系)の尼日光や千葉胤繁、胤治が小城郡に返り咲いた。
シオは調べきれなかったんだが、千葉氏HP(小城千葉氏)によると高田城に入ったらしい。

で、この情報を知った西国のドン・大内義興。
大友と対立してる真っ最中で自身が動くわけにいかない。
筑紫満門、東尚盛を差し向け、東千葉初代・千葉興常も加勢した。

持ちこたえることが出来ず西千葉氏は、小城郡から佐賀郡川副へと逃れた。
11代目千葉氏の血を引く尼日光は龍造寺に加勢を頼んだが、それは・またの話 by^-^sio

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