はじめに・・・この古文書学は理屈・・・もとい学術的な学問としての解説です。
何か(実技編)を期待した方にとっては「知りたいのは、この方向じゃない」
かも、しれないことを予め御了承下さい。
なお、大意が不自然でなければ、専門用語もユルい表現にしてます^^/
参照:佐藤進一著「新版 古文書学入門」
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平安時代には様々な書式があったんですが、管理人の脳に入りきらないので割愛。
本文--------------------
月 日 何某(差出人)
何某(宛名)
で、この書式が多様されるようになり、後世の書状様式を決定します。
念のため、いいですか~『書状』だから月日だけで年はないんですよ~
さて、やんごとない身分の方々は、自らは書かず、家臣に書かせます。
これは単なる代筆ではなく、
家臣が主の意を奉じて、
家臣の名前で書状を書くんだよ~という形をとります。
だから書状本文の終わり(=書き止め)には決まった言葉が必ずつきます。
いろいろあるんだけど、武家様文書で良く見かけるのだと、
依仰執達如件=主人の仰(おお)せに依(よ)ってお取次ぎします。
仰旨如此=仰(おお)せの旨(むね)かくの如(ごと)し
差出人の部分は代筆した家臣の名前を書きます。
多くの場合、差出人の名前の下に「奉」という字を小さく書く___φ(.. ) コチョコチョ・・・
これは「ウケタマワル」と読ませて、主人の意思を「承る」ことを表す。
つまり主人が直接書かずに、
家臣が主人の意を奉じて出す書状を
総称して奉書と呼ぶ。
平安時代には、特に『三位以上の人の奉書』を敬して『御教書』と呼んだ。
ということで元々は奉書も御教書も
私文書(書状)の様式の一つとして派生したものなのですが、
律令政治から武家政治へ政治形態が変化する中、公的文書として質的変化が起きます。
まだ平安時代の文書が終わらないil||li _| ̄|○ il||l
あと少しなのだが、読んでも意味が~~(@▽@)オホホホ
パスするか記事にするかは、もう少し読み込んでからにします~~((( ̄ω ̄A;アセアセ