Quantcast
Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 910

【相良義陽66_和睦or交戦?二転三転】

$
0
0
永禄11(1568)年。
家臣(前立花・一万田系高橋)と、国衆(秋月・城井・宗像・長野・千手)の謀反で大わらわの大友家ですが、伊東と島津もヒートアップっぷ~~
https://history.blogmura.com/his_sengoku/ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代

同年8月中旬~相良と伊東とで「島津を挟み撃ちする作戦」を決行。

だが猛将・島津義弘に見破られ、
(情報のリークがあった。)
参照;日向:大河平編
結果、伊東軍と島津軍は睨み合い~| 本陣 |_ ̄)じー

相良軍も大明寺塁(北原家の城⇒相良軍が落とす⇒島津奪い返した「らしい」~詳細資料無し)にて阻まれた。

伊東義祐は止む無く桶平城を築いて島津軍に備える。

この前後に島津から奪った飫肥城に、伊東祐兵(義祐3男)が城主として入ってます。

永禄11(1568)年12月31日~島津日新斎ジーちゃんが77歳で死亡
永禄12(1569)年1月20日~島津家が相良家&菱刈家に講和を求める
戦国時代に喪中は関係ない^^;

実は講和を奨めたのは、亡き島津日新斎で、もしかしたらの遺言?

ジーちゃんは「島津側は大口攻めでの痛手があり、相良側も長陣に依る疲労と倦怠感があるだろうと」と提案した(らしい)。

そこで野田感応寺の和尚を相良側に派遣し、山野という地域を割譲するとしました。
これに相良も喜び和談となった。

「菱刈史」によると、永禄11年5月の段階で、
島津貴久が相良義陽に対し、山野を譲渡するのを条件に菱刈への加勢を止める旨の約定を交わしたとあります。

大口で山野というと伊佐市大口山野。
これまた「菱刈史」によると島津が分家筆頭の島津義虎に与えていた土地だったそうです。

ただ義陽は、その後も島津に反抗する菱刈を支援しており、この「菱刈史」にある和睦話は一旦は白紙になったんじゃないでしょうか?
もしくは島津義虎が和睦条件の土地割譲にゴネたとか?( ̄ω ̄)b

大口城そのものが相良の在番兵が常駐しており、そこに逃げ込んだ菱刈と相良は国衆と上位者の関係。

分かりやすく今年の大河で言うと、井伊が菱刈で、今川が相良みたいな関係^^

頼れる上位者・相良としては、あからさまに菱刈を見捨てるのも(-ω-;)ウーン・・・
でも、このままだと島津と相良の全面戦争(-ω-;)ウーン

日向(ひゅうが=宮崎県)では島津を裏切り伊東と共闘したまま膠着状態。
この上、大隅(おおすみ=鹿児島県)と二つの戦線で島津とガチンコになるのは・・・(-ω-;)ウーン

それで義陽の外交姿勢がブレまくったとも言えます。
でも、それは島津も同じで、日向では伊東と。
大隅では菱刈や国衆の謀反と複数の戦線を抱えている。
共通項は支援者が相良!

で、永禄12年に戻る。
同年1月24日~島津と相良が正式に和睦した
さらに1月末に和睦が整ったのを祝し、馬越城(菱刈家の城を島津が落とした)で祝宴が開かれた。

歓待を受けたのが、深水頼金・東長兄・犬童頼安~と相良家の重臣たち。
接待したのが知ってる人は知ってる島津家臣の鎌田政年です^^

島津が胸を撫で下ろしたのも束の間・・・「事件」が起きた。

同年の3月~島津義久(16代目当主)は使者として、蒲池越中守に十七人の従者をつけ平泉の城へ向かわせた。

(※15代目島津貴久は隠居して家督を長男の義久に譲ってます^^)

ところが相良義陽の家臣、深水頼兼が兵百を引き連れ、使者を襲い討つ。

これに激怒した島津義久であるが、菱刈氏と相良氏の連合軍は既に、大口城に集結して島津軍を待ちうけていた。

そのうえ、羽月城に詰めていた島津義虎(分家筆頭で義久の娘婿)は単独で相良・菱刈連合軍を相手にするリスクを恐れ、病気を理由に羽月城を退去し、本拠地の出水に帰陣しちゃったの。_| ̄|○ il||li がくぅ

菱刈史の通り山野が島津義虎の領地だったなら、
割譲されたのが面白くなかったかもだし、
実は薩州家は義虎の父・実久が相良へ起請文出してるのね( ̄ko ̄)
(天草との揉め事の仲裁を相良が取り持った)
だから、最前線から撤退することで先代が相良から受けた恩義の義理を果たしたのかもなんだ。

義久「あの分家は勝手すぎるだろ!!」
「もぉいいよ!アテにしないから!」ってことで、すぐに肝属弾正と新納忠元を羽月城に入れた。
忙しいな新納さん^^;

本格的交戦状態に突入の相良と島津。
てか、伊東の次は菱刈。
と二度の盟約破りで島津義久の相良義陽への心象が『極最悪』になった^^;

相良は外交方針がブレて信用ならない!

これが巡り巡って義陽自身を追い詰めて行く。
和睦・交戦と二転三転する義陽のブレは、家臣の勝手を招くことになるのだが、それは・またの話 by^-^sio

Viewing all articles
Browse latest Browse all 910

Trending Articles