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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【佐賀藩家老・深堀氏、参】西肥前強化期間・リサーチ5武家目

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戦国時代の兄弟は敵対するか協力し合うかの二択しかないのかもしれない。
実家兄・西郷と弟・深堀純賢は協力し合う関係でした。ファイトーー!( °ロ°)乂(°ロ° )イッパーーツ!!

思想的にも兄弟揃って「キリシタン大嫌い!」っていうのもありますが、大村氏が勢力拡大するとモロに圧迫受けるのが、西郷・深堀兄弟だったので利害関係も一致してました。
長崎氏の下りで書いたように、西郷・深堀兄弟チームは度々貿易港長崎(と長崎氏の桜馬場城)を攻撃しています。
長崎が貿易港として栄えれば栄えるほど、長崎から南に10kmほどしか離れていない深堀は、経済的な圧迫を被る事になるのでガチ必死です( ̄ω ̄A;アセアセ
ついでに南蛮船から略奪するぜ!(・∀・)

龍造寺が勢力拡大し、大村攻めを始めると深堀も龍造寺から援助を受けて長崎を攻撃してます。
この時点で深堀純賢は龍造寺配下になった事になります。
深堀の長崎攻撃は、領民の激しい抵抗にあって失敗しますが、大村純忠は龍造寺の攻撃に遂に降伏します。

大村が敗れた喜びも束の間・・・今度は龍造寺隆信が「沖田畷の戦い」で討たれた

ガビ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
鍋島の殿が威勢よく島津に啖呵きった逸話が残っておりますが、その実態は・・・
龍造寺は島津に実質的に降伏してるんでつ・・・( ̄ko ̄)

筑前・肥前の国人領主が次々と龍造寺から島津へと乗り換える中で、深堀純賢はフラつくことなく龍造寺サイドに徹しました

このあたり史料が入手できなくて、純賢が龍造寺サイドに踏みとどまった理由は判りません。
もともとが海賊・・ゲホグホ、いわば海の民だった深堀一族は、何らかのルートで中央政界の情報を入手してたんじゃないでしょうか。

天正15年、秀吉の九州征伐にも従軍し、島津に抵抗し続けたのもあって、本領を安堵されます。
天正16年の海賊禁止令で改易されたってサイトを見かけたんですが、その後も本領を守ってるところを見ると、鍋島様との繋がりで上手く切り抜けたっぽい。
ただ海賊としての深堀氏は、この海賊禁止令で終えたと思います。

海賊っていうと略奪しかしてないイメージですが、大名や商家の依頼を受けて船舶の警護を行うことも主要な活動の1つでして、請負で警護料を貰ってました。
敵は略奪、味方は警固~一ニ三の海賊衆♪シーセキュリティは海賊衆(*´○`)o¶~~♪
室町幕府が海賊衆を容認してたのは、そういう側面があったからです。

現金収入を失った海賊たちは自立した勢力でいる事が出来なくなり、武士を止めるか各大名家臣として吸収されていきます。
秀吉の唐入りフィーバーで水軍の需要が高かったので、選ばなければ再就職先には困りません。

深堀純賢は「文禄元年(1592)朝鮮の役」で、鍋島様に属して従軍しています。
深堀一族の航海知識が役だったのでしょう。

純賢は「鍋島姓」を与えられ、深堀から鍋島に改めます^-^

そして鍋島家の重臣・石井安房守信忠の妻を後妻(大宝院)とし、男子がいなかった純賢は、後妻の連れ子・茂賢を養子として家督を継がせました


イメージ 1


純賢自身が養子だったので、こういう思い切った事が逆に出来たんだと思います。
養子にした茂賢(旧姓石井)は、ママン大宝院再婚時で既に二十歳前後、てことはママンの年齢は推定でアラフォー。
だから再婚は子作りの為でなく、茂賢を養子に迎い入れる為に、その生母ごと引き受けたんだと思います。

この石井家次男家当主未亡人というのが、実は鍋島直茂の正室・彦鶴姫の姪なんです。
(彦鶴姫の実家は、石井一族長男家)
茂賢の実兄は一時は鍋島家の跡取り候補だったほど優秀で、茂賢本人も優れた若者として将来を嘱望された人材でした。

この政治色の濃い養子縁組が、深堀鍋島氏6000石、佐賀藩家老職の地位を不動のものにしました


養子となった茂賢(旧姓石井)は「文禄・慶長の役」で、既に養父純賢の陣代として深堀勢を率いており、関ヶ原の戦い後の「江上・八院合戦」では、実兄・茂里ともに先鋒をつとめてます。
鍋島の先鋒は、立花勢にメチャクチャ崩されて・・・(._+ )☆\(-.-メ) ソレハ禁句!

ゲフゴホ・・えっと「江上・八院合戦」で武勲があり、鍋島直茂・勝茂父子の信任も厚かった。
深堀家に養子として入った茂賢は、大坂の夏冬両陣にも一軍率いて参加、島原の乱でも抜群の功績があったと言われてます。
人柄優れ家臣にも慕われ、養子ながら茂賢の死去には殉死者18名が出てます。

深堀純賢は「佐賀藩特有・大人の事情」が複雑に絡む中で、最も核心を突いた石井一門という閨閥の中に入りました。
その石井一門の中でも実力人格ALL備わった、まさに珠のような茂賢を養子にすることで、深堀本貫地を無事に江戸期へと引き継ぐ事に成功したのです。

弟が生き残りに成功する一方で、深堀の兄である西郷は違う道を選択したのだが、それは・またの話 by^-^sio
リサーチ6武家目は西郷氏(=^・ω・^=)v ブイ

※ストックしてたリサーチ記事は、ここまでですので、以降は間が開きますm(__)m

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